聖徳太子は今から千四百二十九年前、西暦五百七十四年にお生まれになり、推古天皇の摂政として政治をとられ、日本で始めて憲法十七条を制定し、それまで豪族の強大な力によって左右された国政を、憲法の規範にのっとった法治国家に改める基礎を固められた。
 そのため中国、朝鮮の先進文化を積極的にとり入れ、特に佛教を篤く信仰され、憲法の第一条に「和をもって尊しとなす」という不滅の理念を教えられた。
十人の訴訟を一度に裁いたという聡明さ、野に飢えた民を見て、食と自らの衣服を与えた愛情の深さ、父天皇の病には衣帯を解かず看病された孝養ぶりなど、現代においても語り継がれて、その徳の高さがたたえられている。
 聖徳太子の多くの業績の中でも、日本伝統の木造建築は太子の学問と実践に由来しており、建築に関連する職種にあるものは昔から太子像を家に祀り、太子信仰をよりどころとして技術を磨き、心の修行に励んできた。
 釧路聖徳太子講は明治四十二年に創立され、依頼毎年八月二十日、二十一日の二日間、浄土真宗・本行寺境内で太子際祭を執行、また毎月の例会は建築関連技能研修と親睦の場として活用されている。
 現在、太子堂、聖徳会館、職能資料館の三施設を擁しているが、太子講運営と敷地提供など全面的に支援を賜っている本行寺歴代住職に深甚なる感謝を捧げ、菅原弌也師による聖徳太子年表を掲げ太子への崇敬を永久に伝えるものである。

 太子講では、「次の時代を担う後継者の育成」を中心に、先人からの教えを一つ一つ心の中で会得しながら伝統を積み重ねている。
 
 米町本行寺の脇に聳え立つ、聖徳太子堂から100年近くの歴史を持つこの建物に秘められた匠の伝承の一部をご覧ください。
米町公園からみた聖徳太子堂。(右隅の三角屋根)
奥に見える白い建物は浄土真宗本願寺派本行寺。公園からたいした距離ではないので米町の町並みを見物しながら歩いていくのもいいだろう。
聖徳太子堂の正面入口に掲げられた大きな看板。
昭和四十五年に掲げられたものだと記されている。

ここ聖徳太子堂では毎月21日に建築の技能にたずさわる人たちが集い例会が行われる。

年に一回8月の20日、21日に行われる例大祭でとび職人による「はしごのり」と呼ばれる職人芸。

太子堂内部に祭られている聖徳太子の像。
昔から現在までの使われてきた道具が各職人ごとに飾られている。このほかにもたくさんのめずらしい道具が飾られている。
歴代の会長の写真が掲げられている。
初代会長の工藤恒吉さんは明治40年1月に務められていた。
間違いなく釧路の建築文化の礎を築いた人である。現在老舗といわれる釧路の色々な建築屋さんもみなここに掲げられている人たちの子孫や弟子だった人がほとんどである。
職能資料館の中央部分に展示されているのは、法隆寺「夢殿」(国宝)。

 聖徳宗総本山である法隆寺の東院に位置する建造物で、奈良時代の遺構として最も古い価値があるといわれている。初建は七百三十九年(天平十一年)で斑鳩の宮の跡地に建てられている。
 職能資料館に展示してある夢殿は、貴重な日本木造建築に尽力した聖徳太子の偉業を後世に伝えようと、釧路大工組合(現在の釧路地方建築協会)八十周年記念事業の一環として建造された。大きさは、七分の一で、企画から完成(昭和五十八年〜六十二年八月)まで四年の歳月を要した。十一の職能、四百人の労働奉仕が、夢殿に結実している。
実に精巧に作られているので是非見学していただきたい。
入場は無料。
連絡先は、0154−41−7092(聖徳会館)まで